| 日本人とお墓シリーズ(7) 「五輪塔ってどんな墓」 変わった形の五輪塔 お墓参りの時や墓石店で、見慣れない四角い三段のお墓(和墓)とは違う、変わった形の 墓石を見かけた方は多いでしょう。 下図のように上から宝珠(団)・半月・三角・丸・四角・の五つの石を組み合わせたお墓で これが「五輪塔」です。 ![]() 五輪と言ったらオリンピックか宮本武蔵の『五輪書』を連想します。 しかし、「五輪塔」は五〜七百年前(鎌倉〜室町時代)には、お墓の八割以上を占め、 三百年以上もの間、一大ブームを巻き起こした「お墓の代表」でした。 皇族、貴族、武士、庶民に至るまで、当時お墓と言えば五輪塔のことでした。 ちなみに、今の三段墓は、江戸時代の中頃から庶民に普及し始めたものです。 お墓の一大革命 鎌倉時代から急に五輪塔が普及したのは、平安中期に大流行した「浄土教」や、 武士社会ができたことで、宗教界も庶民への新しい動きがあったからです。 そしてお墓にも、はじめて「成仏」とか「往生」とかいう、亡くなった人をとても大切にする 「死者救済」の考え方が取り入れられて、「一大革命」が起こったのです。 成仏とホトケ様と大往生 人が亡くなることを「成仏した」、「ホトケ様になった」とか「大往生だった」と言いますが、 この言葉は五輪塔とともに生まれ普及したと言ってよいでしょう。 大往生 永六輔さんのベストセラーに『大往生』がありましたが、「往生」とは、「人が亡くなって 極楽浄土という阿弥陀様の国に往き生まれ変わること」なのです。 極楽は西方の十万億土にあるので「西方浄土」とも言われています。 「ナムアミダブツ」とお念仏を唱える人は、全て極楽浄土へ往生させるのが阿弥陀様の 誓い(誓願・せいがん)です。 この教えが全国に広まると、人が亡くなることをいつしか「往生した」とか「大往生」と言う ようになりました。 極楽の反対は地獄で、悪い行いをした人が堕ちる世界です。 しかし、どんな悪人でも念仏を唱えれば、阿弥陀様の慈悲で極楽へ往ける、のが浄土教です。 浄土教は、平安中期に『往生要集』(おうじょうようしゅう)を書いた天台宗の源信(恵心僧都) というお坊さんによって最初は貴族の間に広まり、同じ頃空也上人(市聖・いちのひじり)が 庶民へ「念仏踊り」を広めました。 そして、鎌倉時代に法然上人と親鸞聖人それに一遍上人が出て、日本中に「念仏」に教えが 大流行することになります。 成仏・ホトケ様になる 一方、「成仏(仏と成る)」とは、読んで字の如く「ホトケ様になる」ことです。 この「成仏」の教えは、今から千二百年前(平安時代初期)に真言宗を開いた弘法大師・ 空海が広めました。 空海は中国から「密教」を日本に伝えましたが、その教えは「即身成仏」つまり「この身のままで 仏となる」というものでした。だからといって早合点しないで下さい。 真言宗のご本尊「大日如来」(だいにちにょらい)と一体になるには、大変な修行が必要なのです。 ところが、人は亡くなると「煩悩」も無くなり、仏様と同じ「涅槃」(ねはん)に入るといわれ、死者を 「成仏した」と言うようになります。しかし、空海は「死者の成仏」について何も言っておりません。 それを説いたのは空海から三百年後に出た、同じ真言宗の覚鑁(かくばん)というお坊さんでした。 高野聖と念仏 覚鑁上人は空海ほど一般に知られていませんが、真言宗「中興の祖」といわれた、 大変な高僧です。 覚鑁は最初、本山の高野山(和歌山)で「高野聖」(こうやひじり)という念仏グループに居ました。 泉鏡花の小説で有名な「高野聖」です。こうしたグループを「別所聖」(べっしょひじり)とも言います。 本山の寺ではない別の所(お堂)を拠点にしていた念仏集団だったからです。 平安・鎌倉時代の仏教では、「別所聖」が大変活躍します。先ほどの源信(横川別所)や法然・親鸞 (ともに黒谷別所)、歌人の西行法師、また重源や叡尊・忍性といった高僧も別所聖で、五輪塔と 縁の深いことも同じです。 密教(成仏)と浄土教(往生)は同じ 覚鑁はその後、高野山の座主(最高位)にまでなり、最後は根来寺(ねごろじ・和歌山)で波乱の 一生を終えます。 覚鑁は当時、流行していた浄土教と密教は同じで、「密教はもともと浄土教を含んでいる」と 主張しました。 これがやがて「五輪塔」を生むlことになるのです。 覚鑁の主張を少し見てみましょう。 マンダラの世界 密教には本尊・大日如来を中心に多くの仏様たちを描いた二種類の「マンダラ(曼荼羅)」が あります。「胎蔵界マンダラ」(たいぞうかい)と「金剛マンダラ」(こんごう)です。 胎蔵界には、大日如来の西方に阿弥陀仏が描かれています。覚鑁は「阿弥陀仏の働きは全て 大日如来の働きである」と言います。これは正しい密教の解釈です。 そして、大日如来の「即身成仏」と阿弥陀様の「極楽往生」の教えは同じだ、と覚鑁はいうのです。 別所聖(高野聖)と勧進 別所聖たちの重要な活動に「勧進」(かんじん)があります。 ご存じ歌舞伎十八番『勧進帳』や『五木の子守歌』にある「おどま、かんじん、かんじん」の 「かんじん」です。 寺院の新築や壊れた寺の復興のために募金をするのが「勧進」です。勧進のために数千人もの 別所聖(高野聖)が全国を巡り、積極的に貴族や武士、庶民のお葬式をし、お墓を建て、また 高野山への納骨を引き受けたり写経をしました。もちろん布教もしますが、その時に覚鑁の 「成仏=往生=五輪塔」の教えを用いたのです。 五輪塔は成仏と往生のシンボル 聖たちは高さ十五センチほどの小さな木製の五輪塔を持ち、全国で「人が亡くなったときに、 五輪塔にお骨や遺髪、写経を納めると、亡き人は必ず成仏し、極楽往生できる」、「五輪塔の お墓を建てると、亡くなった人はすべて成仏し往生できる」と教えたのです。 こうした聖たちの活動で、日本の仏教はお葬式やお墓と深く関わりを持ち、五輪塔が普及しました。 五輪塔の意味 五輪塔は密教で言う「地・水・火・風・空」という宇宙を構成する五大要素をあらわしている、 と言われます。 それは正しいのですが、しかしそれだけでは五輪塔を十分理解したことにはなりません。 五輪塔は死者を「成仏」させ、極楽浄土へ「往生」させるのが本来の意味です。 それ以前のお墓は単に「死者の埋葬地」でしたが、覚鑁は往生と成仏の意味を実証して、亡き人の 魂を救い、死者を本当に大切にするお墓をつくりました。それはお墓の「一大革命」でした。 五輪と六大 地・水・火・風・空の「五輪」を「五大」とも言います。 空海はこれに「識」(識大)を加えて、「六大」という独自の教えを説きました。 前の胎蔵界と金剛界の二つのマンダラに触れましたが、どちらも中心に大日如来がおられ、「五輪 (=五大)」は胎蔵界の大日如来を、「識大」は金剛界の大日如来をあらわします。 これは大日如来の二つの働きです。二つそろうと初めて完全なマンダラと大日如来となります。 だから、地・水・火・風・空の「五輪」(胎蔵界)だけでは不十分で、どうしても「識大」(金剛界)が 必要になりました。 二つの「印」 二つのマンダラの大日如来はそれぞれ独自の手の結び方をしています。 これを「印」(いん)を結ぶと言います。 下図の上が金剛界の大日如来の印(智拳印・ちけんいん)、下が胎蔵界の大日如来の印(定印・ じょういん)です。これで初めて、「五輪塔には二つのマンダラと二つの大日如来が含まれている」 という覚鑁の言葉が理解できます。 ![]() 五輪塔は即身成仏の姿 即身成仏には「身(手)」(しん)「口(言葉)」(く)「意(心)」(い)の三つの修行が必要です。 手に印を結び、口でダラニを唱え、坐禅して心で瞑想(三昧=三昧耶形・さんまやぎょう)を しましが、上図の通り「五輪塔」は三つの修行を表している、と同時に、それは亡くなった人が みな成仏・往生した姿なのです。 五輪塔の文字 話は変わりますが、江戸時代以降の五輪塔は、宗派によって正面に彫る文字が 書き分けられています。しかし、五輪塔ができた時(平安末期)から鎌倉・室町時代までは全て 最初の図のように、下から「ア・ヴァ・ラ・カ・キャ」という「梵字」(ぼんじ・古代インドの文字= サンスクリット)を書きました。それは下から順に地・水・火・風・空という意味になっています。 ところが、江戸幕府の檀家制度によって他宗のマネが禁止され、次のように各宗派独自の文字を 入れました。 ■天台宗(密教)=「梵字」・「南無阿彌陀佛」 ■真言宗(密教)=「梵字」 ■浄土宗・浄土真宗=「南無阿彌陀佛」 ■禅宗(臨済宗・曹洞宗)=「地水火風空」 ■日蓮宗=「妙法蓮華經] これは江戸時代の檀家制度の名残ですから、今日ではあまり気にする必要はありません。 故人を最も大切にするお墓 「五輪塔」を建てると、亡くなった人はみな最高の位と最高の世界に往けるのですから、 宗派に関係なく、今日まで「ありがたい最高のお墓」とされています。 故人をホトケ様とし極楽往生させる五輪塔こそは、亡くなった人を最も大切にするお墓ですし、 日本仏教とお墓の歴史の上で、画期的なお墓だったのです。 |
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